九十九折/徒然なる儘に

だいたいアイマスのおはなし。

Glowing Rock! -こんなはずではなかった-

白神です。

 

まずは謝ります。
アイマス学会でのシンデリアの発表原稿をまとめている最中なんですが
予定を変更してお送りします。ごめんなさい。

言い訳。
これは一言で終わるんですけどアイマス学会があってから
何かと忙しくなってしまってまとめる時間がとれないんです...
近いうちにまとめます。ごめんなさい。
今は逆にそれどころじゃないんだ...

 

 

さて本題です。

表題の通りシンデレラガールズ7thライブの感想について。

https://twitter.com/tsukumowhite/status/1229002519197573120

ええ。この叫びに全てが籠っています。
アコースティックゾーンのお話。

 

※約2500字あるぞ!気をつけろ!※

 

私はねえ!「Rock」で暴れに来たの!ヘドバン!
 メロイックサイン!ウルトラオレンジ大閃光!Hyahha!!!!!!

 

担 当 が 歌 う 
 バ ラ ー ド を 

  聴 き に 来 た
   わ け で は な い

 

いやおかしいでしょ。
確かにずっとツーバス!エイトビート!ギターぎゅいーん!
じゃ疲れるだろうから箸休めみたいにしてバラードゾーンくらいは
あるだろうなーそこで薄荷歌ったりしないかなーがははくらいには
思ってたけれども!

あんな...あんな大砲心臓に直接ぶち込まれるなんて杏奈聞いてない...
(動揺のあまり望月杏奈になってしまった!)

 

今でも気持ちの整理ができてないです。あ、悪い意味じゃなくて。
なんて言葉にすればいいのかまとまらないんです。

 

まとまってないことをすこしtwitterで吐き出したんですけど、
ここでも「まとまってないもの」を集めようと思います。

Pとして生を受けてからずっとまゆPで加蓮Pの
バラバラ死体が見たい好事家がいれば読んでください。
twitterと内容はかなりかぶるよ。というかそれを集めたものなので

 

薄荷は「渕上舞 as 北条加蓮 (演奏:シンデレラバンド)」
まゆメドレーは「牧野由依 as 佐久間まゆ feat. 瀧澤俊輔
  (演奏:シンデレラバンド)」だったなという印象があります。

一瞬だけ話を脇道に逸らします。

私、「アイドル」と「声優さん」の関係の話をするとき
星輝子ちゃんと松田颯水さんの話をすることが多いんです。

声優さんがアイドルの可能性を広げて、またその逆も然り。
メタル・ホシに始まりキュート・ホシ、クール・ホシと
いろんな顔を見せてくれます。

あるいは。中島由貴さんや青木志貴さんみたいに
次元の壁を越えて「アイドル」が「居る」と
思わせてくれるような関係もある。

あるいは、多分これアイドルちゃん成分より
声優さん成分のほうが強いんだろうけどいや歌うっま、と
思うようなこともあると思います。

でも今回感じたのはそれとまた違う在り方だなと。

あそこにいたのはアイドルであり声優さんである、しかし
アイドルでもなく声優さんでもない第三の「誰か」だったような
気がします。おかしな言い方だね。本当に言葉にならない。

これまた面白い(funny)たとえ話になっちゃうんですけど、
ドラゴンボールフュージョンと似た感じだと思うんです。
悟天とトランクスでゴテンクス。悟天でありトランクスであり、
悟天でもなくトランクスでもない。
「(アイドルと)シンクロしてた」「(アイドルが)降りてきてた」
というより、ほんとうに「ひとつになっていた」ように感じたんです。

これもまたアイドルちゃんと声優さんの関係のカタチなのかな、
という気がしました。初めて見たあんなの。

 

さてここからはtwitterにも書いた個人的な感想。
まあtweetしたの深夜だし誰も見てないだろうから
こっちに書き直そう、俺の死体を見ろ。というアレですね。

 

端的に言うと2つ。

「これが俺をこの道に引きずり込んだひとたちです。
 どうだ、すげえだろう」
「『プロデューサー・白神つくも』も
 『(ここに白神の真名を入力)』も完全に魅了されたパフォーマンス」

 

前者について。
私、あんまり「どうだうちの担当すげえだろ」って
言いたくないんです。だって私何もしてないもん。
自慢するのっておかしくない?って思っちゃう。
そんな私でも今回ばかりは言わせてくれ、となった。
だって語る言葉がないから。
あのパフォーマンスで感じた感覚がすべて。 

その圧倒されるパフォーマンスをしたのが
私が約3年間「担当」と名乗ってるアイドルたち
/その声優さんなんだと。薄荷の後の拍手の大きさ。
メドレーの後の鳴りやまない地鳴りのような歓声。
あれを含めて「誇らしかった」。
本当におかしな話。
私は何もしてないのに「誇らしかった」だなんて。 

多分「プロデューサー」というロールが見せた幻覚なんだと思う。
でも、そう感じてしまったものはしょうがない、自分に嘘はつけない。
だからおかしいと思いながらも言う。

「どうだ、すごかっただろう。
 これが何年も私の心を捕らえて離さないひとたちなんだ」と。

「ひと」。もちろん北条加蓮のことであり佐久間まゆのこと。
「二人」ではない。渕上舞さんのことであり牧野由依さんの
ことでもあるから。あるいは、それぞれの「第三の誰か」。
滝澤俊輔さんも含むかもしれない。だから人数は言わない。
「ひと」。

 

後者。これは半ば私の芸術観の話になるんですけど、
私の好きな「ステージパフォーマンス」って
「観客席を黙らせる圧倒的なパフォーマンス」なんですよね。

「観客席を黙らせる」ってのが個人的には大事で、
その瞬間他の観客はいなくなってほしい。
感覚として「ステージ」と「それを見る自分」が残ればいい。

実はコールとかで「観客席を巻き込んで作り上げるパフォーマンス」を
メインにする「アイドル」(偏見はある)だと
なかなか見れないんですよね。
いやそういうパフォーマンスも勿論好きなんですけど、
クリティカルヒットではないと。

言い方を変えると自分すらもパフォーマンスに
介在したくないんですね。 

そしてあのパフォーマンスの間は「ステージ」と「自分」以外
誰もいなかった。観客席には「パフォーマンスに圧倒される自分」
ただ一人がいた。メドレー中の完全な無音がその証左だと思います。

これこそが『プロデューサー』白神の中の
『自分』が求めてやまなかったパフォーマンスであったのだと。
そんなものを、ずっと好きだったひとたちのパフォーマンスで
見られたと。これが至上の幸せと言わずして何と言うか。

ああ、そうだ。ほんとうに「幸せ」です。幸せ。心の底から。

 

 

オチはないよ。